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地元の人

まつもとりゅうたろう
松本隆太郎さん

学習塾経営・ホタル保護活動・秩父夜祭り
地域活動教育
松本教室代表取締役・上町ホタルの会会長・上町屋台保存会顧問
  • 1945年生まれ
  • 埼玉県秩父市出身

松本教室代表取締役・上町ホタルの会会長・上町屋台保存会顧問 松本隆太郎さん

1945年生まれ。埼玉県秩父市出身。生まれ育った上町で、平成の寺子屋『松本教室』を経営。上町のホタルを保護する活動にも参加し、ユネスコ無形文化遺産となった秩父夜祭の上町屋台保存会顧問でもある、松本隆太郎さんにインタビューしました。

『松本塾』を始めた経緯

『松本塾』を始めた経緯

 私はこの上町で生まれ育ちました。なぜこの塾を始めたかというと、妻が元々横浜市で教員をやっていました。結婚して妻は秩父に来た訳ですが、今までの経験を活かした仕事をやりたいということでしたので、私も勧めるような形で、小さな寺子屋のようなこの塾を三十数年前に始めました。段々と規模が大きくなっていき、私も会社を辞めた後は塾の仕事を一緒にやるようになりました。昔、塾の生徒だった私の子どもも大きくなり、今は塾の先生として一緒に仕事をしており、現在は家族全員で塾の経営をしています。

宿場の旅館から”平成の寺子屋”へ

宿場の旅館から”平成の寺子屋”へ

現在使用しているこの建物は先々代が昭和4年に建てたものです。当初は旅館を経営するつもりで建てたそうで、当時はこの辺りも宿場として栄えており、旅館もかなりあったようです。この家もその中の一つとして建てられましたが、旅館の営業は少しだけで、その後はテナントとして貸し出していました。そんな歴史がある建物ですから、先祖の思いも考えて自分たちで直営で利用しようと決めました。
 そして今から20年ほど前になりますが、建物も相当古くなり、当時は古い建物は建て替えるという風潮でしたが、この建物を見ていたら新しく立て直すよりも、先祖の残した古い二階建ての木造の建物を守っていけないかと思いました。建物も純和風ですので、その建物の中で教育となると江戸時代の寺子屋が思い浮かびますので、この建物を"平成の寺子屋"というコンセプトでリニューアルしたらどうかと思いました。たまたま私の同級生に建築家がいましたので依頼したところ、快く引き受けてくれ、"平成の寺子屋"のコンセプトで設計しリニューアルして頂きました。

塾経営での思い出深いエピソード

塾経営での思い出深いエピソード

塾のリニューアルが終わった時、この建物は大人向きの雰囲気かなと思っていましたが、意外とそうでもなく小学生、中学生もこの建物が気に入って入会してくる生徒さんが多く、やはり日本人は物を見る目があるんだなぁと感じました。そして何年もやっていると、かつて生徒さんだった人達が結婚して、そのお子さんが生徒として入ってこられる方もおり、親子二代に渡ってこの教室に縁があるというのも嬉しいですね。人間的な触れあい、人間的な繋がりとして絆が深まってきているなぁと感じる時が、こういう仕事の最大の喜びのような気がします。

上町ホタルの会の活動経緯と、思い出深いエピソード

上町ホタルの会の活動経緯と、思い出深いエピソード

上町ホタルの会は10年前につくられました。当時、押堀川(おっぽりがわ)には少しだけどホタルが飛んでおり、我々でこのホタルを増やして皆で鑑賞できるようにしたいという話がでました。たまたま経験者もいましたので、その方を中心にしてホタルの会を作ってボランティア活動を始めました。上町ホタルの会という名称のとおり、当初は上町町内の有志でスタートしましたが、現在は協力して頂ける方、興味のある方は幅広く仲間としてやっていただいています。現在の実働会員は20人くらいですが、賛助して頂く方も含めますと100人くらいのメンバーとなっております。毎年6月には受付を設置し来ていただいたお客様の対応をしています。
ただ、この活動をスタートした当初は、全員に賛同いただくというわけにはいかず、地元地区の住民の方たちにとっては、自分たちの生活エリアに沢山の人が入ってくるということへの心配や不安があったかなと思います。最初の課題は住民の方の理解を得ることでした。私たちの活動は住民の方にご迷惑をかけるのではなく、皆さんに喜んでいただく事をやるのだと色々な機会を通じてお話しさせて頂き、最後には皆さんが協力してくれるようになりました。
今ではかなり広範囲の方が私たちの活動の事を認識頂いて、わざわざ秩父までおいでいただいています。その際、私達に正直な感想をきかせてくれ、その喜ぶ声は私達にもうれしく励みになっています。毎年、色々なエピソードがあります。カップルで来られてその場でプロポーズし結ばれたということもありました。翌年は新婚夫婦としてお見えになりました。また何十年もともに生きてこられたご夫婦が、来られた日がたまたま結婚記念日だったそうで、ホタルを見て色々な思いが交錯し思わず涙が出ましたという方もおられました。そんなことを聞きますと、我々の活動も一助になっているのかなあと感じ、うれしい思いになりました。
我々の活動は自然を相手にして自然を守っていくのが基本です。いろいろな条件が組み合わさるなかで自然のホタルが飛びますので、毎年毎年スタートするまで不安な気持ちでいます。ホタルが飛んでくれるとホッとするのが正直な気持ちです。この活動が少しでも長続きし、少しでも皆さんに喜んでもらえることが続くことが私たちの望みです。

秩父夜祭りのユネスコ無形文化遺産登録秘話

秩父夜祭りのユネスコ無形文化遺産登録秘話

上町町会は屋台町ということもあり、町内の最大の行事は秩父夜祭を行うことだと思っています。
私たちが誇る秩父夜祭、これは秩父の人間、上町の人間にとってはこれ以上のやりがいのある役割はないなという思いで、これを立派にやることは喜びでもあり励みにもなります。
たまたま私が屋台保存会の会長を仰せつかりまして約10年ほどその仕事を中心にやってきました。この任期中に、ユネスコ無形文化遺産に登録されるという、記録に残る仕事ができまして自分にとてもいい思い出となる仕事ができたなと思います。登録が決まった時は大きな喜びだったのですが、実はその何年も前からずっと登録を狙って準備してきました。何回も今年は大丈夫だ、今年こそは大丈夫だと言ってきましたが、なかなかそうはならなかったという、なかなか難しいような思い出がずっと続いてきました。やっと決まった時の喜びは言い尽くせないほどの喜びがありました。

秩父人として大切にしていきたいこと

秩父人として大切にしていきたいこと

難しい質問ですね。それぞれ自分の故郷にはそれぞれの方が思うお国自慢があるかと思います。私達秩父の人間も、言い尽くせない郷里に対しての誇りというようなものを皆さん持っているのではないかなと思います。これは私だけが感じるのではなく、秩父が持つ歴史と伝統が継承されている中で誰もが持っているものではないかなと思います。これは地域流動性がなかったということも背景としてはあるのかなと思いますが、いい形で歴史と伝統が守られてきているのではないかなと思います。これは決して排他的な物ではなく、秩父への誇りをもって、よその人ともうまく仲良くやっていける一番大事なことではないかと思います。
今は国際化の時代だと言われています。そのとおりだと思います。その時代の中で秩父の人間として外国に対しても秩父の文化・歴史に誇りを持つ、そして日本の伝統と一体になり、それをバックボーンとして行動できる秩父人であってほしいと思います。

一押しの秩父は何ですか

一押しの秩父は何ですか

私の松本家は影森の金仙寺(こんせんじ)の檀家で、現在金仙寺の境内の再開発を私もお寺の役員としてやっています。今、境内が建物を移築したりしてとてもきれいになっています。新たな秩父のシンボルになるのではないかと期待しています。ぜひ一度見に行ってみてください。


松本教室
http://www.matsumotok.net/lecturer.html

Copyright© City of CHICHIBU All Rights Reserved. 掲載記事、写真の無断転載を禁止します。
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