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移住してきた人

よしだたけし
吉田武志さん

フリーランス グラフィックデザイナー
起業・フリーランス
malme.design代表
  • 1979年生まれ
  • 大阪府牧方市出身

グラフィックデザイナー malme.design代表 吉田武志さん

大阪府出身。秩父に居た知人の紹介で転職のため、秩父に移住。インテリアショップのオーナーを経て、現在フリーランスのグラフィックデザイナーとして秩父のショップなどのロゴをデザイン。移住者が集うイベント『集まれ移住者!』の会を企画するなど、移住してから現在の生活の変化や仕事につてインタビューしました。

グラフィックデザイナーを目指したきっかけ、経緯

グラフィックデザイナーを目指したきっかけ、経緯

 元々物作りが好きで、クリエイティブなことが好きでした。幼い頃からプラモデルや色々な物を作ったりしていました。元々はプロダクトデザイナーとして雑貨を作ることを目指していましたが、初めに入った会社がグラフィック寄りの会社だったので、いつの間にかグラフィックデザイナーになっていたという感じですかね。
 大学は最初、関西外国語大学に入ったのですが、あまり志も無く入ってしまいましたので、中退して東京の専門学校の雑貨デザイン科に入りました。中退した時は親に結構怒られましたね(笑) 親には本当に申し訳なかったと思います。

グラフィックデザイン会社時代。秩父市に移住を考えたきっかけ

グラフィックデザイン会社時代。秩父市に移住を考えたきっかけ

最初の会社は大阪の南船場にあるグラフィックデザイン会社でした。広告代理店からの仕事をいただいて、グラフィックだけでなく幅広い仕事をしていました。わかりやすく言うと商品周りのSPツール全般を請け負っていました。当時は枚方の実家から1時間程かけて通勤していました。この業界は厳しく忙しい世界で、今までで一番頑張った時期かなと思います。例えば、金曜日の夜10時にならないと次の日が休みかわからないような生活で、時には徹夜もありました。ブラックみたいな感じでしたが、経験値は一番高められた時期でもありました。その経験が今の礎になっていると思います。
 この会社は最初、社長と二人で始めたのですが、順調に成長して社員も増えていき、自分の立場も上に上がっていきました。最終的には部長になったのですが、そうなると「近い将来身動きが取れなくなっちゃうのかな」「ここ以外ではできなくなるのかな」と思ってきました。デザインをするより、マネジメントする立場になっていき、自分の可能性がそこで終わってしまうような感じがしまして、転職するなら今だと思いました。そのタイミングが35歳の時で、今なら動ける!と思い、一度会社を辞めようかと考えていました。そんな時に、秩父に住んでいた友人が一緒に仕事をしないかと誘ってくれて、それがインテリアのネット販売だったんですね。今までやったことのない分野で学べることもたくさんあると思いましたし、元々好きな世界だったので、仕事ありきで秩父に移ってきました。なので秩父は友人に会いに一度来たことがあるくらいで、埼玉の市町村の一つぐらいの認識でした。

秩父市に移住してきて~仕事と秩父の人とのつながりから、フリーランスへ~

秩父市に移住してきて~仕事と秩父の人とのつながりから、フリーランスへ~

 田舎に移ることに関して抵抗はなかったですね。元々私は兵庫県で生まれたのですが、父の仕事の関係ですぐに沖縄に引っ越して、その後小学生の時に大阪に、そして東京に、と5年に一回くらいは引っ越していたので、新しい土地に行くことに慣れていました。
 秩父に転職してはじめに就いた仕事はインテリア事業部でした。最初の2年はネットショップで、仕入れたものを撮影し、ネットにアップする仕事でしたので、あまり人に会わないインドアな環境でした。その後、秩父神社の表参道:番場通り(ばんばどおり)に『秩父表参道Lab.』を作るというプロジェクトが立ち上がり、ネットショップだけでなく実店舗を構えることになり、その店舗に店長として異動しました。
 店舗に移る前は、秩父での横のつながりはほぼゼロでした。知り合いと言えば会社の人しかいなくて、会社の人も9割は結婚してて誰とも遊ぶ機会がなく、一人ですることも無いので休みは東京に出かけていました。でも店舗ができたことで色々な人との出会いができ、その店舗に勤務していた2年間で300人位と知り合いになりました。そこでの主業務はインテリア販売だったんですが、そこはバルとインテリアショップとレンタルスペースの複合施設でした。そこでマネージャー的な役割として外部との交渉をする立場でもあったので、色々な方との出会いが生まれました。イベントスペースもあったので、外部の方も来てくれて知り合いが増え、視野が広がっていった感じですね。そこでの経験はとても大きいものがありました。
 その頃から移住者の方だったり、秩父出身だけど東京でデザイン会社をしている人であったりとか、クリエイティブな方が目につくようになりました。私が副業でデザインの仕事もしてたので、その方々のデザインの依頼なども受けるようになり、地域と関わる仕事は楽しいなと思うようになってきました。ただ店舗で働いていると自ら会いに行くこともなかなかできないので、フリーランスになってみようかと思い、社長と相談の上、2019年初めにフリーランスのグラフィックデザイナーとして独立しました。

都会と秩父の働き方。仕事のポリシー

都会と秩父の働き方。仕事のポリシー

都会と秩父は仕事の仕方、環境など何もかも違いますね(笑)。 大阪は大きな本屋もあるし、電車の中吊り広告もあったりするので、街中にデザインが溢れていますが、秩父は無い訳では無いけれども少ない。東京・大阪では時代の最先端の影響や刺激を受けますが、秩父にはデザイン的な面でおしゃれなものは少ない。逆に「0から1を作る」みたいな事が多くて、それが面白いなと思いました。また参考になるものを探そうと思えば、東京まで行くのも2時間あれば行けちゃうので、その点は秩父のいい所ですね。また空気が美味いというのも秩父に来て知った感覚で、電車で池袋に着くと「わぉ~」って感じで匂いの嵐に巻き込まれる感じがします(笑)。 生きていく上では今は体に良い環境だと思います。
 秩父ではデザイン的な刺激が少ないので、参考書はたくさん購入してます。でも秩父にはクリエイティブな方も結構いらっしゃるなと思っていて、ビジュアル的なことは本や都会に行くしかないのですが、人との対話によってクリエイティブな発想とかの影響は受けています。またUターンの方とか移住者の方とかが結構いいセンスを持っていて、東京には無いハイセンスな店や建物があったりと、感性も尖っていたりしているので、人とのコミュニケーションによって生まれる刺激は大阪や東京よりもあるのかなと思っています。都会にありがちなテンプレートが秩父には無いので、それぞれが哲学を持ってやってらっしゃる方が多く、そういった刺激は秩父には多いと思っています。
 それと秩父の仕事はゴールが早いなと感じています。どういう事かと言うと、これは良い面も悪い面もあるのですが、秩父の人はデザインに馴染んでいない、おそらく誰かにデザインを発注をしたことがある人が少ないことが要因なんだと思いますが、十分な検討を経なくてもOKになってしまうことがあります。大阪や東京では広告代理店と仕事をすることが多いので、デザインというものをわかってるのでクオリティを求められるのですが、秩父では個人からの依頼が多く、「任せる」みたいなオファーが多いです。ですので、私としては地域で一番よく表現できるデザイン提案となるよう心がけています。

秩父市移住相談センターのロゴデザインについて

秩父市移住相談センターのロゴデザインについて

このデザインの依頼を受けて思ったのは、まず秩父だからと田舎っぽくはしたくは無かったです。移住に関するロゴはこの世にたくさんあって、わりとほっこり系や手書きっぽい優しい感じのものが多いですが、秩父のロゴは私自身が移住者なので、移住者に響くロゴにしたいなと思いました。既に移住されている方やシニア世代の方もたくさんいるかと思いますが、個人的に私の周りには同世代が多かったので、30・40代の方にも響くものと考えた時に、「秩父って田舎でほっこりした雰囲気はあるんだけれど、スタイリッシュな面も持っている」ということを表現しました。
 かつ、移住相談センターでは色々な活動をしていく上で、汎用性と多様な活動にも繋がることを意識しました。かっこいいけど今回は使えないね、じゃなく、どんな時にでも目立って等身大で使えるものを考え、中生的なロゴにしました。『TURN』 という言葉には、その人の転機・移り変わり・ターニングポイントというような意味を込めました。
 次に『つながる、ちちぶ』企画のロゴは、移住ロゴ(暮らす秩父)とセットで使われることが多いと聞きましたので、基本のシルエットは合わせ、発信元は同じだということがわかるよう連動性を持たせました。この企画は、秩父の色々な方達からお話を聞き、その方達の語る秩父を紹介するというものだと聞いていましたので、パズルのピースはたくさんのカラーを持つ人達が集まって一つのまちを作っているという意味を込めています。

「集まれ移住者の会」と、移住者から見た秩父市移住について

「集まれ移住者の会」と、移住者から見た秩父市移住について

移住者仲間で「集まれ移住者の会」を運営してるのですが、この活動は私の経験を踏まえたものになります。私が移住して2年間は横との繋がりが希薄で、同じような状況で困っている移住者の方って結構いるだろうなと思いまして、そんな人達が集まれる場所があったら楽しいんじゃないかというのがきっかけでした。
以前に、飯能とか川越に出かけてお隣の土地を知ろうという「お隣サミット」というものがあり、そこに参加したのもきっかけになりました。別のジャンルの人達が集まって繋がったら面白いんじゃないかなと思ったのもありますし、移住者は色々な経歴を持っていてクリエイティブな人達も増えてきた時期で、私自身も繋がりを増やしたいなという思いもありました。そういう人達が集まることで自然と仕事なども生まれると思います。
また、これは私の経験なんですが、秩父には美容室と歯科医はたくさんあるのですが、自分にぴったり合うところが見つからず、見つけるのに2~3年かかりました。そういった生活に必要な情報を得るための交換の場があるといいなと思っていました。私はたこ焼きを焼くのが得意なので、レンタルスペースを活用してたこ焼きを振る舞ったりしている中で「集まれ移住者の会」は生まれました。
 移住をする上では、間違いなく大事なのは仕事かな。収入が無ければ暮らしていけませんし。ただお金の面だけで秩父を見ると、秩父は時間単価が低いのでお金儲けに来る場所ということではないかなと思います。あと秩父の人は移住者に優しいと思いますが、反面、既にコミュニティが出来上がっているので入りにくいことも事実です。待っているだけでは繋がりは生まれないですし、自ら探していくくらいの気持ちでいた方がいいかなと自分自身の経験から思います。

フリーランスになって、そして結婚

フリーランスになって、そして結婚

フリーランスになってから休日の概念が無くなりましたね。仕事はいつでもできるし、休めるので定休日は設けて無いですし。基本仕事が好きなので、2019年で仕事をしなかった日は一週間も無いぐらいなので、休日というよりは休み時間の過ごし方みたいになっちゃっています。あえて言えば、妻の店の定休日が月・火なので、あわせて車で出かけたりすることが多いですかね。高崎に行ったり上里に行ったり旅行に行ったり、秩父から離れようとしていますかね(笑)。
 妻とは2019年7月に籍を入れました。移住者の方が経営している『CARNET』によく通っていて、そこのお客さんの一人が当時私にパートナーがいないというのを聞き、秩父で『小さな洋菓子店 Spoon』を経営していた彼女をたこ焼きパーティーに連れてきてくれて、紹介していただいたのが出会いでした。秩父に来て妻と出会えたことが一番良かったことですね(笑)。

秩父のいいところ・変えていくべきところ。今後の活動について

秩父のいいところ・変えていくべきところ。今後の活動について

秩父についていいなと思うところは、秩父には"関わりしろ"が残っているところですね。デザイナーとして店舗や看板などもやらせていただいているのですが、都会で仕事をしていた感覚で秩父に足りないものを探してみると「こうなるといいな」がたくさんあるし、住民の方も同じことを思っていたりもします。ある意味未完成だからこそ、繋がったり関われることが多く、私が何かしたことで変わることが結構あるのかなと思えたりもします。『秩父やまなみチーズ工房』の看板をやらせてもらった時も、周りの人から「見たよ」と言ってもらったりもしたので、そういう反応があるとやりがいもありますね。
 逆にマイナスな面はガチで話すと一時間ぐらいになっちゃいますが(笑)。未完成と言いながらも完成しているところ、ある意味出来上がっちゃっているところかもしれません。コミュニティなども完成されてたりするので、伸びしろが無い場所もたくさんあるように感じます。クリエイティブなところでいうと未成熟なところが多いのですが、人間の関係性では伝統がたくさんある土地なので、守るイメージも強く、守りきってガチガチになっていると思うところもあります。そういう面は移住者から見るともう少し柔らかくてもいいのになと思います。
 人口が減っている中で、今までの全てを守ったままでは地域の活力を維持していくことは絶対できないと思います。私はどんなことも、完成しているように見えても完成していることはない「未完成」なんだと思っています。秩父についても完成しちゃってると思っている人がいて、それ以上は無いと決めつけちゃってる概念が、少し緩まるといいなと思う時があります。
 今後の自分の活動としては、秩父は"関わりしろ"がある街なので、どんどん色々なところに関わって、自分が関わったことで変化が起き、それがいい方向に向いていったりすることが増えたらいいなと思っています。

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