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移住してきた人

たにぐちたかし
谷口孝史さん

秩父市大滝でお弁当屋を営む
起業・フリーランス

    つむぎ弁当 谷口孝史さん

    2015年から2018年まで、大滝地区の地域おこし協力隊として活動。奥秩父と呼ばれるエリアで、そのほとんどが山林であり市内で最も人口の少ない地域。任期中は集落のお手伝いなどを中心に活動、その後大滝地区に定住し現在は、道の駅でから揚げ販売のほか、お弁当屋の谷口さんとして地域に無いものを自ら作り出している。

    秩父市大滝地区の地域おこし協力隊になった経緯

    秩父市大滝地区の地域おこし協力隊になった経緯

    ---協力隊になった、きっかけを教えてください。

    実家が建設業をしていて、父親が代表取締役で私は取締役でしたが父親が亡くなってから会社はたたみ、東京で働いていました。
    東京では、目的があって働いていたわけではないので、環境などが徐々にストレスになってきて、他の仕事を探していました。
    ウェブサイトで仕事探しをしている時、検索ワードからたまたま協力隊の募集が引っかかったというような感じでした。そこから総務省のサイトなどを見るようになり地域おこし協力隊という仕事を知りました。
    秩父にしたのは、たまたま私が初めて登った山が熊倉山という白久駅の近くにある山だったので、記憶に残っていたので一つの縁だなと思って応募してみました。

    協力隊としての活動 名前を覚えてもらうために・・・

    協力隊としての活動 名前を覚えてもらうために・・・

    ---任期中の活動は主にどんなことをしていたのですか?

    その当時は集落単位で曜日ごとに、集落の方が集会所に集まって遊んだりお茶をしたりする会がありました。集落ごとに私が顔出しに行く機会というのが設定されていてそこの手伝いに行って皆さんにある程度知ってもらいました。
    ですが、そこに毎週行っても顔を覚えてもらうのは難しいんですよ。
    どうしたらいいかな?と思いついたのがこの紫色のタオルです!毎回同じ紫色のものを被っている人はいないので、色で識別されるように考えました。これはものすごい有用でしたね。
    今でも弁当を私が配達しに行けば遠くから見ても、誰が配達に来たかわかる程になりました!

    ---お手伝いとは具体的にどんなことをしていたのですか?

    1年目は本当に人に顔を売るだけでした。
    時間はあったのでいろんな方に話を聞いた中で、多くの失敗談を集めました。
    最初は皆さん上辺だけの話しかしてくれないので・・・
    でも私がどうにもならなくて、あぐねているっていう状況になって初めてそういう話をしてくれるんですね。失敗談を反面教師にして、それ以外のことをやれば良いと思いました。
    後は、山から切り出した丸太を運ぶとかですね。
    山の下から山の上の住んでるところまでそれこそ多分10キロ20キロあったと思うんですけど、それを担いで毎日運ぶというのを、夏の時期はそういうお手伝いをしていました。

    任期後「喫茶店」から「から揚げ屋」へ

    任期後「喫茶店」から「から揚げ屋」へ

    ---任期の3年を終えて大滝に残られ喫茶店を開いたのは地域の人たちの「場」づくりを目指していたのでしょうか?

    そうですね。それを可能な限り補助金に頼らずにやりたかったんです。
    でも、失敗でした・・・皆さん、コーヒーを外で飲むという習慣があまりなく、それを普及させるほどの影響力もなかったので。
    お茶は飲むけど、お茶にお金を出すという考え方がないので仕方ないですよね。話をしに来る方はいても、「コーヒーはいらない。お茶ないんけ?」と言われて、お茶にお金は取れないですからね。需要と供給のバランス上これは喫茶じゃなかったなと。

    ---そこから、から揚げにはどのように行き着いたのですか?

    それまで並行して道の駅でのバイトを続けていました。
    そこで支配人から夏場ソフトクリーム売っていた小屋を1年通して何かできないかな?と言われて考えたのが、から揚げ屋でした。
    任期中の活動で、大滝の田舎味噌を作るお手伝いをしたことがあったんです。私はあまり味噌が好きじゃなかったんですけど、それが美味しかったんですよ!そこでカフェのランチに味噌から揚げを出してみたところ、好評だったのでこれを串に刺して出したらどうかな?というところから始まりました。
    丸1年通して、十分な利益を出せるようなお店になったのはそれがきっかけです。

    お弁当屋の谷口さん 就労支援の場所を作りたい

    お弁当屋の谷口さん 就労支援の場所を作りたい

    ---お弁当屋さんを始めた理由を聞かせてください。

    お弁当は、2022年4月に初めて従業員は今9人います。
    お弁当屋を始めた理由は、就労支援施設を作りたいからです。
    なぜ就労支援施設をやるのかというと、1番の理由は私の近しい友達を亡くしたからですね。
    その方は難病だったんですけど、無理して働かなくてもその次のステップを踏めるような場所、失敗してもいい場所を作りたいんです。
    そのような方たちにとって、選択肢が少ないと思うんです。だから選択肢を増やさなきゃいけない。それが私が就労支援をやると決めた理由です。
    今、生きづらいと思っている人が生きるために選べる選択肢をもう一つでも増やすためにやる。
    休みたいときはすぐ言ってもらう、前日でも当日の朝でもいいから断ることはないですと言って、必ず絶対無理はしないでくださいというのを徹底しています。
    だから休みやすい環境ができているだろうし。副業やメインの仕事がある方も来るので絶対にメインの仕事を優先してくださいと伝えています。
    自分自身の負担はありますが、うちの会社としての目的はそこなのでどんな方でも働きやすい職場にするようにしています。
    だから来てくれれば本人のマイナスになることはないはずなので、そこは常に意識しながら仕事するようにしています。
    今のスタッフは救われたとは言わないですけど、私の話を聞いて励みになったと言ってくれた方が何人かいらっしゃるんでね。
    自分のしてきたことは間違ってなかったんだなっていうのは今実感としてあるので、それが原動力になっているんです。
    今後はサービス管理責任者の方に来てもらいたいと考えていて、それが就労支援に繋がって行けばいいなと思っています。

    今後はラーメン屋にもなる!?

    今後はラーメン屋にもなる!?

    ---更なる今後の展望はありますか?

    それは就労支援施設を作ってからの話で、そっちがある程度回ってきたらそこで人を集めて、ラーメン屋さんをやることが目標です。
    これは多分近所の人も食べに来ます。コーヒーじゃないんで(笑)。
    この辺にはラーメンを食べるところがないので求めている人は多くいると思います。
    無いものは自分で作る、地域に臨まれているものは答えるというのが、特にやりたいことがない人間だからこそ、そこに自分を当てはめていけるんだと思います。

    Copyright© City of CHICHIBU All Rights Reserved. 掲載記事、写真の無断転載を禁止します。
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